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    美しい国へ   民主国家にほど遠い時代錯誤で、強権さをやり通すことに恐れおののく    2006.11.20

    第3弾

    安倍晋三にまつわる言葉として、偏狭だとか、戦後を否定する回顧主義だとか、極右などと、おおよそ民主主義とはかけ離れた評価が散見される。安倍がいつからそんな風に変質していったかの一部が この「美しい国へ」の中で伺うことができる。
    キーワードはずばり「安保」である。
    ちなみに『所信表明演説の全文』の中には一度も登場しない語句である。そこでは生々しすぎるのでオブラートに包んで『安全保障』という言葉(4回)にとどめている。

    ところがこの本の中では「安保」は目次に1回、本文に24回でてくる重要語句となっている。
    この「安保」はおじい様岸信介の悲願であった憲法9条改正に繋がるキーワードであり、もう一つの教育基本法と並ぶ言葉で、安倍にとってはノー味噌に焼きついた亡霊みたくなっているのかもしれない。
    岸信介が憲法改正をやろうとしたが、安保条約改定を強行したことで国民の猛反対運動に合い、あえなく挫折した。それ以降は歴代の総理はだれも手を出せないでいたもので、まさに悲願である。

    日米安全保障条約のことは 日米安保条約 アメリカが日本を守るって!? 一体どこにそんなことが書かれているのでしょうか? に少し書いています。
    また集団的自衛権のことは集団的自衛権 日本が危ない 自衛隊はあんたのおもちゃじゃない!と、
    集団的自衛権とはなにか 石破(長官)は国民をだましても戦争につれて行くのかで書いています。
    ほかに、
    米国CIAが岸信介、池田勇人の政権に秘密資金を提供していた 
    反省も大事だが、それを都合よく利用してきた自民長期政権、その自民党をコントロールしてきたアメリカ
     

    さっそく見てみることにする。

    おっと、いきなり出てきた。
    「うさんくさい・・・」という書き出しで始まり、信介ガラスという他の世界が見えない特殊サングラスを掛けているのでなんでも「うさんくさい・・・」にみえてしまうらしい。
    サングラスをはずせばちゃんとした日本の歴史がみえるのに決して外そうとしない。いや、ひょっとしたら外すことを怖れているのかもしれない。見たくもない・・・と、深層心理がそうさせているのかもしれない。

    うさんくさい気がした「安保反対」の理由 P.19〜P.21
      わたしが高校生になった一九七〇年は、ベトナム戦争を背景に、学生運動が高揚期を迎えていたときだ。その前年には、東大安田講堂に立てこもった全共闘と、これを排除しようとする機動隊とのあいだで、はげしい攻防がくりかえされていた。日米安保条約の自動延長をめぐる政治イシューも、革新勢力と保守勢力が真っ向から激突する大きなテーマであった。
      このとき、社会党、共産党の野党、そして多くのマスコミは、日米安保条約の破棄を主張していた。「日米安保の延長は自衛隊の海外派兵を可能にする。すでに日本はアメリカのベトナム侵略の前線基地になっており、日本帝国主義はアメリカと結託して、ふたたびアジア侵略をはじめようとしている」というわけだ。進歩的文化人と呼ばれる学者や評論家の多くも、同じような理由で反対していた。
      日米安保を堅持しようとする保守の自民党が悪玉で、安保破棄を主張する革新勢力が善玉という図式だ。マスコミも意図的に、そう演出していた。打倒する相手は、自民党の政治家だったわたしの父や祖父である。とりわけ祖父は、国論を二分した一九六〇年の安保騒動のときの首相であり、安保を改定した張本人だったから、かれらにとっては、悪玉どころか極悪人である。
      高校の授業のときだった。担当の先生は、七〇年を機に安保条約を破棄すべきであるという立場にたって話をした。クラスの雰囲気も似たようなものだった。名指しこそしないが、批判の矛先はどうもこちらに向いているようだった。
      わたしは、安保について詳しくは知らなかったが、この場で反論できるのは、わたししかいない。いや、むしろ反論すべきではないか、と思って、こう質問した。
    「新条約には経済条項もあります。そこには日米間の経済協力がうたわれていますが、どう思いますか」
      すると、先生の顔色がサッと変わった。《岸信介の孫だから、安保の条文をきっと読んでいるに違いない。へたなことはいえないな》−そう思ったのか、不愉快な顔をして、話題をほかに変えてしまった。
    本当をいうと、そのときわたしは、条文がどんなことになっているのか、ほとんど知らなかった。でも、祖父からは、安保条約には、日本とアメリカの間で経済協力を促進させるという条項があって、これは日本の発展にとって大きな意味がある、と聞かされていたので、そっちのほうはどうなんだ、と突っかかってみたまでだった。
      中身も吟味せずに、何かというと、革新とか反権力を叫ぶ人たちを、どこかうさんくさいなあ、と感じていたから、この先生のうろたえぶりは、わたしにとって決定的だった。
    安保条約をすべて読みこんでみて、日本の将来にとって、死活的な条約だ、と確信をもつことになるのは、大学にはいってからである。

    この節に刷り込みの原点があると見ている。
    といっても晋三はたったの5歳の幼児だったわけで、こんな会話が果たしてあったのか? もしあったとしても覚えちゃいないだろうし、かろうじてデモ隊の映像がイメージとしてあったのかもしれない程度のことではないかと推察している。
    この話は岸信介に晋三を結びつけたいがための後付で作ったはなしだろうと見ている。まぁ、こんな話はどうでもよくて、ようは岸信介に陶酔していることを書きたかったのだろう。
    ところで安倍は安保条約第5条を読んでないと思う。もし読んでいたとしてもその意味が理解できていないと見ている。
    というのは、この記述を読むと「アメリカが日本を守ってくれる」と、おじい様がゆったとされる言葉をいまだに信じきっている節を感じるからで、 そのことはこの記述だけではなく日ごろのコメントにもそれを感じるからである。理解してないことをあからさまにさらしてしまう最初の総理大臣になるかもしれない。
      デモ隊に囲まれた祖父の家 P.21〜
      安保条約が自然成立する前の日の一九六〇年六月十八日、国会と官邸は、いく重にもつらなった三十三万人におよぶデモ隊に囲まれた。
      官邸に閉じ込められた祖父は、大叔父(佐藤栄作・当時大蔵大臣)とふたりでワインを飲みながら「わたしは、けっして間違ってはいない。殺されるなら本望だ」と、死を意識したというが、調印の後の改定作業にはいってからも、社会党をはじめとする反対勢力は、国会内外で反対闘争を激化させていた。
      当時は、わたしはまだ六歳、小学校に入る前である。わたしには、二歳ちがいの兄がいるが、二人とも祖父にはとても可愛がられていた。祖父の家は、東京・渋谷の南平台にあって、わたしたちはしょっちゅう遊びにいっていた。
      しかしそこも、しばしばデモ隊に取り囲まれることがあった。「アンポ、ハンターイ!」のシュプレヒコールが繰り返され、石やねじって火をつけた新聞紙が投げ込まれた。当時衆議院議員だった父もそこに詰めていたが、外に出ることができない祖父は、退屈すると、わたしたちを呼びよせた。
      母とわたしたち二人は、社旗を立てた新聞社の車にそうっと乗せてもらって、祖父の家にいった。
     子どもだったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこか祭りの嚇子のように聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて「アンポ、ハンタイ、アンポ、ハンタイ」と足踏みすると、父や母は「アンポ、サンセイ、といいなさい」と、冗談まじりにたしなめた。
    祖父は、それを二コ二コしながら、愉快そうに見ているだけだった。
      わたしは、祖父に「アンポって、なあに」と聞いた。すると祖父が、「安保条約というのは、日本をアメリカに守ってもらうための条約だ。なんでみんな反対するのかわからないよ」
      そう答えたのをかすかに覚えている。

    なにを勘違いしているのか、さらに倒錯していった様子が書かれている

      隷属的な条約を対等なものに変えた P.23〜P.24
      後年になって知ることになるが、一九五一年、サンフランシスコ講和条約といっしょに結ばれた日米安全保障条約には、アメリカが日本を守るというはっきりした防衛義務を定めた条項がなかった。事前協議の約束もない。このとき、アメリカとしては、日本に自由に基地がつくれることになっていたのだ。
      そればかりか、日本に内乱が起きたときは、米軍が出動できることになっていたり、アメリカ人が日本国内で犯罪をおかしても、日本には裁判権がないなど、独立国とは名ばかりの、いかにも隷属的な条約を結んでいたのだった。おまけに、条約の期限は、無期限になっていた。
      祖父はこのとき、この片務的な条約を対等にちかい条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていたのである。いまから思えば、日米関係を強化しながら、日本の自立を実現するという、政治家として当時考えうる、きわめて現実的な対応であった。
      祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真撃な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。
      間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった。


    この節には「安保」は一度も出てこないが、前節の続きとなっている。先輩たちとはだれのことをイメージして語っているのだろうか
      その時代に生きた国民の目で歴史を見直す P.24〜P.27
      大学にはいっても、革新=善玉、保守=悪玉という世の中の雰囲気は、それほど変わらなかった。あいかわらず、マスコミも、学界も論壇も、進歩的文化人に占められていた。
      ただこのころには、保守系の雑誌も出はじめ、新聞には福田恒存氏、江藤淳氏ら保守系言論人が執筆するコーナーができたりして、すこしは変化してきたのかな、と感じさせるようになっていた。
      かれらの主張には、当時のメインストリームだった考え方や歴史観とは別の見方が提示されていて、わたしには刺激的であり、新鮮だった。とりわけ現代史においてそれがいえ た。
      歴史を単純に善悪の二元論でかたづけることができるのか。当時のわたしにとって、それは素朴な疑問だった。
      たとえば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったとのひと言でかたづけられることが多い。しかし、はたしてそうだろうか。
      たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には「断固、戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持していたのではないか。
      百年前の日露戦争のときも同じことがいえる。窮乏生活に耐えて戦争に勝ったとき、国民は、ロシアから多額の賠償金の支払いと領土の割譲があるものと信じていたが、ポーツマスの講和会議では一銭の賠償金もとれなかった。このときの日本は、もう破綻寸前で、戦争を継続するのはもはや不可能だった。いや実際のところ、賠償金をとるまでねぼり強く交渉する力さえすでになかったのだ。
      だが、不満を募らせた国民は、交渉に当たった外務大臣・小村寿太郎の「弱腰」がそうさせたのだと思いこんで、各地で「講和反対」を叫んで暴徒化した。小村邸も暴徒たちの襲撃にあった。
      こうした国民の反応を、いかにも愚かだと切って捨てていいものだろうか。民衆の側からすれば、当時、国の実態を知らされていなかったのだから、憤慨して当然であった。他方、国としても、そうした世論を利用したという側面がなかったとはいえない。民衆の強硬な意見を背景にして有利に交渉をすすめようとするのは、外交ではよくつかわれる手法だからだ。歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではないのである。
      この国に生まれ育ったのだから、わたしは、この国に自信をもって生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。
    その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なことではないか。学生時代、徐々にそう考えはじめていた。
      だからといってわたしは、ことさら大声で「保守主義」を叫ぶつもりはない。わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。
      現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きたひとたちに対しても責任をもつ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守られてきたのかについて、プルーデントな認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神ではないか、と思っている。
    プルーデントな認識?・・・・読者はどういう認識か理解できないであろう。プルーデントには「用心深い、分別のある、抜け目ない、倹約な」というニュアンスがあるようだ。果たしてどんな意味を込めて使っているのか、はたと困る。これは著者本人に聞かないとわからないことではあり、勝手に意味をあてがっても意味がないかもしれない。
    そこを押して「用心深い」とか「よく注意する」とかという意味で読んでみるとなんとかくつながってくるようなのだが・・・どうなんだろうか。
    日本語には豊富な語彙があるのだから、このようなの訳のわからない横文字ではなく、美しい日本語で書いてほしいものである。

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