++ 沖縄の深い闇 沖縄県警の自殺ストーリーは論理破綻している ++
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沖縄の深い闇 沖縄県警の自殺ストーリーは論理破綻している
なぜ、政府・警察庁は承知しておきながら自殺説を支持するのか
★お知らせ: 論点整理 もくじ に新規追加しました 2006.7.27 
警察は3時間で自殺と決めた
はじめから答えありきのようだ
みざる、きかざるを通した
さすがに批判がうずまき再捜査のポーズはした
なにかでてきたら捜査をするといっている
と、逃げ場作りも余念がない
あらかじめでてくることを予見しているようだ
おかしい
なにもでてくるはずがないんだが
自殺と判断しているのだから・・・・
でも何かがでてきたら涼しい顔で捜査を始めるんだろう
「いちどたりとて断定してないんだからなんら問題ない」と
ライオンの「雄」を説明するのに「雌ではないものが雄である」いう説明方法がある
野口さん事案では発生直後からもやもやと晴れないものがある。なにかひっかっていてそれを考えてみた。
「自殺だ」「いや、そうじゃない」と真っ二つにわかれて論争があり、国会でもとりあげられている。
この裏表の論理を卑近な例で考えてみる。
動物園などでライオンの家族が見ることができる。テレビなどでもライオンの生態を知っている。
このライオンを第三者に説明する人はどんないいかたをするだろか?
ライオンの雄を説明する場合、雄は「立派なたてがみがある」「身体が大きい」「生殖器はこんな形だ」「狩りもせず寝そべっている」、、、と雄がもっている生態、特徴を挙げるはずだ。ライオンを一度も見たことがない人でもそのイメージをとらえることができる。
もし、次のような説明をしたとしたらどう思われるだろうか。
ライオンの雄の説明をするはずのところ、なぜか雌の説明を始めた。
「たてがみもないし、からだもちいさい」「子供を産んで、おっぱいを飲ませて育てる」「乳を与えるためにいっぱい狩りをする」、などなどの雌の生態・特徴を並べたてて、一番最後に、これ以外が「雄である」と説明した。
この説明を聞いた第三者ははたしてイメージを掴めるだろうか。いちどもライオンをみたことがない人はさっぱりわからないだろう。
もうおわかりだと思うが、この実世界のなかではこのような「否定の否定は肯定になる」という論理学の論理を持ち込んで生活したり、仕事をしたりしてはいない。もっとも、コンピュータのなかの電子回路とかプログラム、ソフトウェアではそれは当たり前に使われている。しかし、人の日常の生活とか仕事にそれを持ち込んだら却って複雑になるだけということは経験でだれでも知っている。だから誰もそんなことをやろうとも思わないし、やったら誰も相手にしない。変人と思われるからだ。
話を元にもどせば、はじめから「雄」の特徴を肯定的に説明をすればいいだけのことで、なにもわざわざ雌の説明をしてそれを否定したのもが雄であるというややこしいことはしない。これは常識であり、だれでもが理解できることである。
野口さん事案ではこの論理で押し切ろうとしている
野口さんの場合はライオンの「雄」「雌」にあてはまるのは、「自殺」「いや、そうじゃない」の裏表の関係に相当する。
「雌」じゃないから「雄」だという同じ論理で、「 犯罪性がないから自殺だ 」という論理だ。「犯罪性」を否定してみせて、すなわち「自殺」だという論法の一点に集約している。ここのページで調べたが、発生直後の時期からこの論法があることから、途中から生まれたものではなく、最初からこの論理でスタートしたと見ている。
沖縄県警は自殺といっているので遺族をはじめとして、だれもがその自殺の説明をしてくれるものだと思っていた。
しかし、なぜか警察は自殺の具体的な状況、証拠、などを列挙して説明をしてこなかった。
そのかわりに、「犯罪性がないから自殺だ」と論をはった。
まぁ、「否定の否定は肯定になる」という論理を主張したわけだから、全ての自殺に対する疑念疑問、すなわち「犯罪性」を否定するものを100%あげてことごとくそれらを否定していっていけたら、その暁には「自殺である」と断定もできる。
「指摘された疑問を全て調べたが、みなさんに確かめてもらった通り、疑われるものは何一つありませんでした。みなさん、もうこれ以上疑念はありませんよね。だったら自殺ということでよろしいですね。」ここまでやって、初めて論理が成立して「自殺」となる。しかし、これを実際にやろうとしたら大変なことになる。
なぜならば、
これを実際の状況下で一点の曇りもなくすべての疑問を晴らすことは到底できないだろうととだれでも想像できる。莫大な時間と労力と費用がかかるからだ。そして限りなく100%に近づいたとしても、わずかに不明な部分が残るだろう。
一点でも疑念があれば論理的に「否定の否定は肯定」にならず、すなわち自殺とならない。
くどいようだが、「否定の否定は肯定になる」論理を使えるのは脳みその中だけの話で、電子回路とかプログラムのなかでしか使えない。実社会ではすぐに破綻する論理である。
しかし、沖縄県警は無謀にもこの論理を使ってきた。政府・警察庁もこの論理を支持している。
「犯罪性がないから自殺だ」と
この論理を成立させるのは困難を極める。先に説明したとおりで、全ての「犯罪性がない」事に対して具体的、個別に説明して、クリアしていかなければならないからだ。
野口さん事案でちょっと列挙してみると、
「最重要証拠物件である、サッカーシャツの存在がどうかなっているのはどういうことなのか」
「ホテルの3階の廊下を見渡せる防犯カメラをなぜしらべなかったのか」
「刃物の入手先が曖昧になっているがどうなっているのか」
「宿泊客の証言があるが、なぜ調べなかったのか」
「空港の混雑監視カメラは日立製の高性能カメラで、行き交う人々の表情まで映し出せるものがなぜ不鮮明にしか写っていないのか」
「空港以外でも
混雑監視カメラよりもっとも高性能はセキュリティチェックカメラがあるようだが調べたのか」
などなど、あげたらきりがないほどでてくる。
でてきたものすべて一点の曇りもなく疑念、疑問を晴らすことは到底できないだろう。しかしながら、沖縄県警はわざわざ「否定の否定は肯定になる」論理を使ったわけだから、どうしても自殺としたいならば、これらを全てクリアにしないと論理的に「自殺」まで持ってゆけない。途方もなく困難なことだ。
自殺なんだからなぜ自殺の説明をしないのか
警察の論理よりもっと簡単である「自殺」を真っ向からとらえてなぜ説明しないのか。
なんども繰り返して説明したように「否定の否定は肯定」の論理は実社会では実用にならないのに、なんで沖縄県警はそんな論を張っているのだろうか。さっぱりわからない。
「愛する家族にあてた遺書があった」
「仕事がうまくいってなくて、周りもそれに気がついていた」
「
刃物を買った場所がわかった」
「航空チケットも自分で注文した」
「非常ベルを押すこともなかった」
「人知れず命を絶った」
「一差しで大動脈が傷ついて大出血を起こし、血の海となった」
「激痛で腹の筋肉が収縮して刃物は刺さったままで絶命した」
などなどの状況説明を家族にしたならば、そのまま自殺として受け入れたことだろう。
こんな状況だから、前述したような疑念、疑問の類が出てくるはずもない。
自殺を真っ向から説明することは無理だと悟って、それならば「犯罪性がないから自殺だ」の筋書きで行こうと
ほんとうのところは自殺を正攻法でいきたいのはやまやまだったのだろう。
しかし、その材料がない。
じゃ、しかたない「犯罪性がないから自殺だ」でいこう!
これはすぐに批判の嵐になった。
当然だろう。何一つ疑問をクリアしておらず、当然に「自殺」の論理も成立しているはずがない。しかし実際の警察の動きはそんなことにおかまいなく、「自殺」だと主張して物事を進めて無茶やったから批判が巻き起こった。未だ論理は成立しておらず、「自殺」は遠い彼方にあることにかわりはない。
その当時、その批判の動向を見てだめ出しを出した警察庁もその後沖縄県警の支持に回り、いまに至っている。
しかし、未だにその姿勢を変えていない。
政府・警察庁も沖縄県警を全面的に支持していて、変える気もない。
国会の政府答弁も同様である。
どういうことだろうか?
すでに破綻している論理でも、国家権力があればねじ伏せることができるとおもっているのだろうか。
★ 警察、政府・警察庁の会見、答弁は共通していて全て否定形である
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